トップページに戻る

●ケータイ日記  ●いさか新聞  ●議事録  ●表紙ギャラリー  ●インターン日記

 

 

1999年9月9日
 住民投票に対する賛成討論

空港は本当に市民から認められたか?


1、神戸空港設置を全会一致で決めた1990年当時は、
  バブル経済や震災、環境問題など現在の状況とは異なる点が多い。
2、空港設置の議論自体が十分に尽くされたとは言い難い。
3、前回の神戸市長選・神戸市議選においても空港賛成・住民投票反対を
  公約の前面に掲げて当選した議員はほとんどおらず、
  また、投票に参加しなかった有権者の意志が反映されていない。
以上の点から、空港に関して議会は民意を十分に反映していない可能性がある。

住民投票は市長の権限を奪うものか?

住民投票により市長の権限が失われるのでは、との指摘もあるが、
住民投票の結果は必ずしも市長の権限を拘束するものではなく、
仮に市長が住民投票と反する行動を取ったとしても
市長の行政責任が明確になる点で、住民投票の意義は大きいだろう。

賛成・反対の二択だけでは不十分か?

賛成・反対の二択だけでは多様な市民の意見を反映できないとの声もある。
しかし、現状の計画に少しでも問題点があると考えるならば、
「反対」に印を付ける、というやり方をとることで、
二択に対して自らの意志を表現することにつながると思われる。

代案がなければ反対してはいけないのか?


代案がないのに既に存在する案を否定するのは無責任、という声もある。
確かに、批判のための批判よりも建設的な議論を志すことは大切であるが、
市政のチェック、という観点から考えると
たとえ代案を提示できないまでも、市民自らが賛成・反対の意志を示すことは重要だ。

間接民主主義にこそ住民投票が必要


住民投票のような直接民主主義は議会による間接民主主義を否定するものではない。
むしろ住民が自治の意識を高め、同時に、議員が市民の声を省みることで、
両方が相乗効果を発揮し、よりよい政治の実現が期待できるのである。

← 前の議題へ

議事録センターへ

次の議題へ →



さて、改めて昨年11月の臨時市議会の議事録を拝見いたしました。
住民投票反対の議員の方々が幾つかご指摘くださった疑問点について、
住民投票条例をよりよいものにしようと議論にご参加くださった
与党・先輩議員のご不安を1つ1つぬぐい去ることで、
お1人でもご賛同下さる方をふやしたい、そのように考えております。

以下の指摘について、ひとつひとつ考えてみたいと思います。


港は本当に市民から認められたか?

まず、空港推進の意志は、その都度市民の代表からなる市議会で
民主的ルールに則って明らかにされているので、
いまさら住民投票で住民の意向を確かめる必要は無いのではないか、
そのようなご指摘について、1つ1つ私なりに判断したいと思います。

(1) 1990年3月の全会一致決議

まず、1990年3月の全会一致決議というものなんですが、
文書に、航空利用者の利便を図る、公害のない神戸空港に関する意見書について
全議員が同意した、そのように書いてありましたが、細かく申し上げれば、
便利でない、公害のある空港については同意していないとも言い得るわけですが、
今は別にそこまでは申しません。

当時は伊丹空港の存続がまだ正式には決定しておらず、
むしろ公害の多い欠陥空港として、神戸空港の完成と共に廃止されるとの
見方もあった時代です。バブル経済が崩壊した1991年より前の話であり、
各地で第三セクターなどによる大規模公共事業が破綻するより前の話です。
何よりも、神戸の市民生活や経済構造を根底からひっくり返した震災の前の話です。
この決議自体が無効だと、そこまでは別に申しませんが、
しかし手放しでこの決議が100%通用すると、そこまで言っていいものなのかどうか、
まだまだ疑問が残るところではあると思います。

(2) 1996年3月の議決

次に、1996年3月の議決というものを拝見いたしましたが、
「神戸空港の設置管理者を神戸市と定めることについて兵庫県と協議します、
いいですか」という事に関しての議決であったと思います。
与党会派の賛成多数でゴーサインが出たわけですが、
空港推進にかかわる重要な数少ない案件であるにも関わらず、
提案当日に採決されて、委員会付託もなかった。
これまた順風満帆の議会運営とは言い切れないのではないでしょうか。

(3) 空港の調査研究予算の承認

それから、空港の調査・研究予算をたびたび承認してきているではないかと、
この点についてなんですが、調査研究を認めることと、空港建設を認める、
推進するということはイコールではない、これは明らかだと思います。
むしろ調査結果によっては調査・研究というものは計画見直しすら
導くものであると、そのように認識しております。

(4) 1997年の市長選挙と1999年の市会議員選挙

それから、1997年の市長選挙でありますとか、1999年の市会議員選挙ですとか、
そのあたりもよくたびたびの空港推進の意志ということで引き合いに出されるわけですが、
市長さんやあるいは与党議員の皆様のうち、
選挙の時に「もう何が何でも空港を完成させます」と、
そういう事を公約の第一に掲げられた方が果たしてどれほどいらっしゃるのか、
まして住民投票条例反対を唱えた方がどれほどいらっしゃるのかということについて、
私は疑問を持っております。

一方、1999年の市議会議員選挙に起きましては、
ほとんど空港反対と住民投票条例の制定、それから情報公開だけを公約に当選した
私のような特殊な議員も生まれたわけです。

そもそも市議会の議決と、それから神戸空港という1つの案件に対する住民の意向が
一致しているのかということは、私はかねてから思っていたことであります。
与党議員の方の支持者の中にも空港反対の方がいらっしゃるのではないか、
同時に私の支持者の中にも、これははっきり確認しておりますが、
「空港をやっぱりつくった方がいいで、井坂くん」と、
そういう方はいらっしゃるわけです。

さらには、市議選や市長選にいつも参加されない5割から6割の方々の意見は、
もう全く未知数なのであります。「沈黙は承認のしるし」とよく言われるわけですが、
しかし実態は、どこにどんな空港ができて、
それが自分たちの生活にどのように影響があるのか、ということを
余りご存知ないような方々が少なからず現実にいらっしゃるわけです。
そういう方々は一体何を承認されているのかという疑問は、まだ残るのではないでしょうか。

以上、いろいろ申し上げましたが、もちろんそれぞれ1つ1つを
100%否定するものではありませんが、しかし手放しでこれらを全部取り上げて、
「もう空港推進は、その都度その都度、市民の代表からなる市議会で
民主的ルールにのっとって明らかにされている」
ここまで言い切ることはできないと私は判断しております。


民投票は市長の権限を奪うものか?

次に、住民投票の結果と市長権限の兼ね合いはどうなるのか、
そういうご不安が前回、昨年11月の臨時市議会でたくさん出されておりました。
先ほど佐伯さんに「さすが」とおほめいただきましたとおり、
住民投票条例第14条は今回修正を加えまして、
決して市長の権限を拘束・制限するものではなくなっております。
ですから、仮に市民投票で空港反対が多数を占めました場合でも、
市長権限で空港を建設することは可能となっております。
ただ、神戸空港計画や、あるいは神戸市の財政が破綻したときに、
その時の市長責任が明確になるという意義はやはり大きいのではないかと私は見ております。

成・反対の二択だけでは不十分か?

次に、賛成・反対の二択だけでは、多様な市民の意見を反映しきれないのではないか、
そのようなご指摘も頂きました。確かに、
「今すぐつくることには賛成できないが、近い将来には造るべきだ」というご意見ですとか、
「基本的には賛成だが、例えば需要予測だけは下方修正してやってほしい」など、
さまざまな意見があることは間違いございません。

そこで例えば、「現状の空港建設計画の通り空港建設を進めてかまわない」、
そういう方は「空港賛成」に丸をつけ、
反対に「需要予測が危なっかしい」とか「騒音がひどくなりそうだ」とか何らかの問題を感じていて、
「現状の計画はその問題が解決されるまではストップすべき」だと、
そういう方は「空港反対」に丸をするやり方が、
この2択に対する妥当な答え方ではないかと私は思います。

大体市議会では、議案に対する賛成・反対の二択が毎日のように行われているわけでして、
これに対して「多様な市民の意見を背負ったこれまた多様な72人の議員の意見を、
市議会の議決は反映しきれていないのではないか?」などと考える方はいらっしゃらないと思います。


案がなければ反対できないのか?

次に、「空港にかわる案がなければ空港を否定することはできないのではないか」、
そのようなご指摘、「単に空港を否定するだけで、代わりにどうやって神戸経済を
活性させるのかというアイディアを出さないのは無責任だ」と、そのようなご指摘に
つきましては、私も常に建設的な議論をしたい、「反対のための反対」というような、
いわゆる悪い意味での野党的なことは極力避けたいと私自身志しておりますので、
真摯に受け止めさせていただきます。

しかし、ここで以前、あるテレビの討論番組で、
私がこの質問に対してさせて頂いた例え話をいたします。
神戸150万市民を「お腹を空かせた子供」に、そのときは例えました。
この子は空腹で今にも倒れそうです。そこで、優しい笹山市長が、
子供のためにおにぎりを握り始めました。
このおにぎりは、神戸空港の例えとさせていただきます。

ところが握り始めてから出来あがるまでに10年近くかかってしまいました。
10年も前に作り始めたおにぎりですから、なんだか酸っぱい匂いがしてまいります。
そこで私が「そのおにぎり腐ってへんか?食べるとお腹壊して死んでまうで」
と子供に言いますと、笹山市長は「この子からおにぎりを取り上げるんやったら、
代わりにカツ丼でも持って来なさい」とおっしゃいます。

笹山市長の名誉のために申し上げますが、笹山市長はもちろん、
本当にそのお腹を空かせている子供を助けようと思っておにぎりを
握られたことは間違いないと確信しております。

さて、私はそんなにすぐにカツ丼が作れるほど、ご存じのとおり
料理が上手ではありません。カツ丼を作っている間に子供が、
腐っているかもしれないおにぎりを食べてしまってはいけません。
カツ丼をあげられないからといって子供がおにぎりでお腹を膨らますのを
黙って見ているのも、それはそれで私は無責任じゃないかと思います。

つまり、代わりの案が無いからといって、神戸空港計画の問題点を黙って見過ごすことは、
それはそれで市政のチェック役の議員として無責任なのではないかと思うわけです。

そして、大事なことなのですが、
腐っているかもしれないおにぎりにチャレンジするのか、
それとも新しいおにぎりかカツ丼が出来るまで空腹を耐え抜くか、
そういう命に関わる決断は子供自身、つまり150万市民自身がすべきだと思うのです。

また、この件を住民投票の選択肢という話に限定いたしますと、
「空港賛成」か、「代わりの案に賛成」の2択ということでは、
それこそ「どちらの案にも反対」という市民の意見を全く反映できなくなってしまいます。

以上、空港に代わるビジョンはあったほうが良いには違いありませんし、
私がそのビジョンを一生懸命考えることを放棄するものでは全くありませんが、
しかしそれが無いからといって空港を否定できないとは思いません。
特に住民投票の段階では2つの案の選択ということになると
むしろ民意を反映し切れなくなる恐れがあります。

接民主主義にこそ住民投票が必要

最後に、住民投票のような直接民主主義の仕組みは、
衆愚政治・・愚かな民衆の間違った政治を招くのではないか、
また議会制民主主義を否定するものになるのではないか、そのようなご指摘もいただいております

まず、この衆愚政治という言葉自体−−もちろんはっきり衆愚政治と
おっしゃる方はなかなかいらっしゃらないわけですが、地域住民を見下した、
非常に失礼な言葉・考え方・概念であることを指摘いたします。
重大な判断はすべて議員に任せて、余りわかっていない愚かな住民は
黙って言うとおりにしておけと、そういう議員の特権意識のようなものが後ろに見え隠れいたします。

もちろん、自分がやらねばという責任感、プロ意識は大切なことですが、
今日、住民の心が議会制民主主義から遠く離れてしまっている理由を考えますに、
議員は住民と同じ地平に、なるべく近くに、そして謙虚過ぎるぐらい
謙虚にあるべきだというのが、私の立候補の時からの信念であります。

住民は決して愚かではありません。住民の判断が間違うものだとすれば、
4月の選挙でその住民によって選ばれた私たち議員は、衆愚政治の産物なのか、
これこそ実は、議会制民主主義を根本から否定するものではないでしょうか。

栗原議員の答弁どおり、新潟県巻町や岐阜県御岳町など、
住民投票の実施によって住民の自治の意識、主権者としての責任感は高まり、
民主主義が成熟したという実例がございます。

また、議会の議決と住民投票の結果が食い違うという事態が何度か起これば、
これまで本当に数の論理だけで滞りなく行われていた議決にも緊張感が生まれ、
議員の皆様も市長さんも、より一層これまで以上に住民の声に
耳を傾けようという機運が高まることが予想されます。

住民投票やリコールのような直接民主主義の仕組みは、そういう衆愚政治を招くどころか、
議会制民主主義・間接民主主義と相乗効果を発揮しながら高め合っていくものと結論いたします。

以上さまざま申し上げましたが、31万の自主投票の重みなどは、
今さら私が申し上げるまでもありません。
自主管理投票が信頼頂けないのならオフィシャルにやろうと、
本提案に賛成の立場から討論をさせていただきました。
どうもご静聴ありがとうございます。

← 前の議題へ

議事録センターへ

次の議題へ →

 

トップページに戻る